
災いの現場に、彼はいつもいた。
20xx年、A国の内乱状態が治まる気配は未だなかった。
彼の母国からも、支援隊という名の派遣軍がその地に送り込まれていた。
すでに政府は、A国からの民間人退避勧告を発令していた。
それでも、彼はA国に入国した。カメラを携えて。
母国を発つ直前まで、実をいうと彼は迷っていた。
私は、真実を撮らなければならない。そして伝えなければならない。しかし、
これまで以上に、危険度は高い。もしかしたらこれが最期になるかも知れない。
そう思いつつも、彼の足は、彼の足を止めるのを許さなかった。
しかしひとたびA国に入ると、出国前に彼の中にあった揺らぎは
完全に沈静した。そして覚醒した。足が、そうさせたのだ。
入国後、すぐに彼はA国が持つありあとあらゆる瞬間を、カメラに収めた。
破壊された住居、道端にうずくまる少女、そして自爆テロ現場の
様子まで、シャッターを切りまくり、時にはビデオカメラを回した。
数日が経ったある夜、彼はホテルの部屋に戻ろうとしていた。
すると、物陰から数人の男が現れ、瞬くうちに彼を囲い、連れ去った。
つまり彼は、人質となった。
彼を捕らえた連中は、彼の命と引換えに、支援隊のA国撤退を要求した。
彼は思っていた。私は退避勧告に背いてこの地に来たのだ。
だから、政府は要求に応じないだろうが、私が政府を責めるのは筋違いだ。
しかし、だからといって私の行動が責められるのだとしたら、
私の足がそれを許さないはずだ。何故なら私は自己責任でこの地に赴いたのだから。
そして、彼は死を覚悟をした。
母国のメディアは、彼の行動を思いのほか好意的に伝えていた。
「民間人を人質にすることは言語道断だとは言え、大国からのラブコールで実現した
今回の支援。退避勧告も事前に発令していた政府が、簡単に連中の要求に
応じるとは考えにくい。そもそも彼は、首相の言うことろの
“自己責任”でA国に足を踏み入れたのだ。ベテランのジャーナリストと聞いているが、
民間人として、行動をわきまえて貰いたい―」
そんな意見を唱えた者は、ごく僅かだった。
「確かに彼の今回の行動に問題がなかったとは言えない。しかし彼のようなジャーナリスト
がいてこそ、我々が世界の情勢をリアルに感じることが出来るのもまた事実。
同じ報道の人間として、彼の勇気は賞賛に値するはずだ。
どういう事情があろうとも、国民の安全を確保する義務を果たすために、
政府はあらゆる手段を講じるべきだ―」
こうした論説が大半だった。
数日後、アジトでは二人の男が、彼の前に立っていた。
ひとりは銃を抱え、もうひとりはガムを噛んでいた。
「交渉は決裂した。残念だが、君を殺さなければならない。
最後に何か言いたいことがあれば、言いなさい」。
ガムの方が言った。
「私は真実を撮るためにここに来た。そして伝えなければならない。
だから私のカメラを、返してほしい」
叶わない願いだと思っていた。しかし意外なことに、ガムの方が、
袋から彼のカメラを取り出し、渡した。
彼は、一心不乱にシャッターを切り続けた。
数秒後、銃の方が、至近距離で彼に狙いを定めた。
つまり彼はカメラを携えたまま、即死した。